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〒440-0881 愛知県豊橋市広小路3丁目82番地
江戸時代の初め頃は、大陸で造られた宋銭を使用しておりましたが、三代将軍徳川家光は国産の貨幣の使用を実現しようとしました。このため、地方八か所に鋳造所を置くことを命じました。この八か所とは、常陸水戸藩(茨城県水戸市)・陸奥仙台藩(宮城県仙台市)・信濃松本藩(長野県松本市)・豊後竹田藩(大分県竹田市)、そして、三河吉田藩(愛知県豊橋市)です。
寛永13年(1636)、白山権現境内(現 白山比咩神社)に銭座(ぜにざ)が設けられ、銅貨「寛永通宝」が作られました。寛永通宝は、江戸時代の代表的な全国統一通貨で、法律上では昭和二十八年(1953)の通称 少額通貨整理法の施行まで通用できました。なお、吉田の寛永通宝は、貨幣が十分流通する、寛永十七年(1640)まで製造されておりました。あと、将軍家光より命令で銭座を新銭座と命名し、町名を新銭町(しんせんまち)と名付けられ、昭和三十三年(1958)に広小路3丁目に改名されるまで、使われておりました。
寛永通宝の製造を止めた後の吉田新銭座は絵銭「吉田駒曳銭」(よしだこまびきせん)、またの名を「吉田牛曳銭」(よしだうしびきせん)が造られました。ひもに通した硬貨を数える区切り銭して百の数取り銭とも言われました。このため、百徳を得られる縁起銭として喜ばれ、子供の遊び道具としても使われました。
あと、白山比咩神社境内社として、金山彦神を祀る新銭座金山神社が祀られておりますが、造幣・鋳造の守護神としてのご神縁から、お金の神様として金運・商売繁盛・事業発展などのご神徳があると信仰されております。
吉田新銭座跡の石碑(豊橋教育委員会建立)
新銭座金山神社(平成25年11月23日遷宮)