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吉田天満宮の赤天神人形
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明治十一年まで花園町の一部が垉六町(ほうろくちょう)と呼ばれ、土器や陶器の生産、販売が盛んであり、その一環で子供の玩具などにも、細々と作られていた中、地方歌舞伎役者であった、杉浦幸次郎(すぎうらこうじろう)が明治十三年(1880)に札木町で土人形の制作を始めました。明治三十二年(1899)、その弟子の吉田孫吉が曲尺手町(かねんてちょう)で独立し、赤天神を含む、吉田土人形を制作し世に広めました。昭和二年に(1927)に吉田孫吉の弟子、西村茂治(にしむらしげじ)が東田坂上(あずまださかのうえ)にて独立し、赤天神などの制作活動を行い新吉田土人形という誉名で大成致しました。
東三河の風習として、桃の節句(3月3日)には、男子は天神様を単体で祀り、端午の節句(5月5日)には武者人形や鎧兜を飾り、女子は雛壇の傍らに天神様を祀りました。高度成長期前の貧しい時代は、裕福な家は束帯人形を飾ったが、一般庶民は、当社に所縁の赤天神を祀り、天神様の御神徳のもと、子供の学業上達、無病息災を願いました。現在は、豊川河口の高須町で営む、西村茂治の孫、西村秀明氏(にしむらひであき・西村人形店)の奉製の赤天神を授与しております。
また、昭和初期に豊田浩(とよたひろし)が天神の張子人形を作成しました。これは子供の玩具用、民俗工芸用として作られ、今でも、吉田張子人形として名声を得ています。



     西村茂治作 赤天神土人形

  西村秀明(西村人形店)作 赤天神土人形

     豊田浩作 吉田張子人形